梅染め
琵琶湖北西の安曇(あど)川(がわ)下流域にひろがる、扇状地のほぼまんなか。丹波高地と比良山系を源に、二〇〇年もの歳月を経た伏流水が噴き出ている。
水田では稲を育て、集落では生活用水となり、河口では葦帯を作って生き物を育み、大川を経て琵琶湖にそそがれる。この水系の地は、生水(しょうず)の郷と呼ばれる。
家にはそれぞれ川端(かばた)という洗い場がある。飯粒や野菜屑は川端の鯉などの淡水魚たちの大好物だ。おかげで人間の食べ残しから、水が腐ることは無い。「紅梅の木から染料を煮出しますよって、見に来られますか」そんな嬉しいお招きをもらった。生水をひきこむ民家を工房にするのは、友禅作家の山本晃さんだ。京都から鯖街道を通り、わざわざここまでやってくる。
工房の土間は昔ながらのたたき(赤土や砂利などに消石灰とにがりを混ぜて、たたき固めた床)でできていた。それは大気の湿度と同化して、湿ったり乾いたりする。裏口には冬も夏も同じ水温で流れる川端があり、ほどよい寸法に切られた紅梅の枝が、束にして漬けられてあった。
梅には水を浄化する作用があり、梅自身も腐りはしない。ことに軟水だと酸化を防ぐだけでなく、いつでも必要なときに色が抽出できるのだという。山本さんには試行錯誤も厭わず、独自のものを創りあげようとする、綿密な思考と純粋な眼差しがある。「これ、木自身が貯えている紅色ですよ」
水から引きあげた枝の、表皮の内側がしびれるばかりに赤かった。紅梅の霊魂とでもいいたくなるほどに、香気をたたえた紅色と艶やかな生気に満ちていた。ふいに胸の奥深くから、熱いものがこみあがってきた。木は花を咲かせるために養分を貯えて、ひたすら浅春を待つのである。「この色を私らがいただくんやからね」川端を介する水と大気の循環のなかで、友禅染めの原点にまでさかのぼれる梅染めを研究し続けてきた情熱が、「いただく」から伝わってくる。
私は白い絹糸が色をずんずん吸収して、薄紅色に変わるのを思い浮かべていた。山本さんは一九四三年、兵庫県生まれ。一九七〇年に京友禅士・天野木仙氏より独立、一九八〇年に古代色素研究家の前田雨城氏に師事、一九九〇年に「北野紅梅染」の技法を専門誌に発表している。
若い頃から生地やデザインの歴史的研究をしてきたが、伊勢左衛門貞頼著の『宗五大艸紙(そうごおぞうし)』(一五二八)のなかに、「加賀梅染」が記されてあるのを見つけた。そののち梅で染めたと推察される、古い裂や古文書などを見る機会を得た。古い裂には絵羽付け模様とみられる、手書き彩色の一部があった。残念なことに、古文書の「加賀から染め出す梅谷(屋)渋で染めた色は赤くして黄ばみ、梅木の香りがする」と記された梅染めの衣料は見ることはできなかった。まさに「幻の梅染め」なのだ。
京都の北野天満宮の由緒ある梅の、剪定された枝から染液を抽出したことから、「北野紅梅染」と称するようになった。
美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞなる 菅原道真
道真の五歳の歌で、阿呼(あこ)は道真の幼名だ。この歌からは「北野紅梅染め」は、紅色のみをイメージする。だが意外に色幅は広い。若木は薄紅色に、老木は茶色に染まる。梅の成分の中にタンニンが含まれており、媒染剤によって深緑にも、黒色にも、あるいは黄色にも変化させられるという。また、梅の古木に付いた苔からは紫色が染めあがる。染めはそのような発見の蓄積であるが、底はなかなか深すぎる。そういったところに、霊性が感じられる。
色の抽出にとりかかった。川端の水に三年ばかり漬けておいた木を寸胴鍋に入れ、ひたひたの水をそそいで強火にかけた後、二時間以上とろ火で煮出しはじめた。その間、鍋の液は薄い茶色から濃い小豆色に変った。瞬時に美しく変化する色は神秘をまとって鮮やかだ。梅の廃材で作った媒染液を入れたとき、色がいちだんと冴えわたった。
抽出した液は冷ましてから、次の工程をこなすために京都にもち帰るという。さっきから、酸っぱい香りやらほの甘い香りやらが混ざりあい、土間にひろがっていた。
葦原(あしはらの)中国(なかつくに)は、磐(いは)根(がね)・木(こ)株(かぶ)・草葉(かやのは)も猶(なほ)し能(よ)く言語(ものい)ふ。夜(よる)は熛(ほ)火(へ)の若(もころ)に喧(おと)響(な)ひ、昼(ひる)は五月(さば)蠅(へ)如(な)す沸騰(わきあが)る (神代下・第九段)
『日本書紀』のなか、葦原中国には、自然の万物に霊魂のあったことが記される。「磐も木も草もよく物をいい、夜には火の穂が騒がしい音をたてて、昼は五月の蠅のように湧きあがってくる」という一文だ。古代人の耳は、木や水や火などの言語いをよく聞き分けていた。山本さんにも原始の耳があり、草木をはじめとして、水や火などの言語いを聞き分けながら、研究を続けている。梅は中国原産。『万葉集』には白梅のみが詠まれ、紅梅は平安時代に入ってからだ。
紅梅や比良の高ねに雨の雲 与謝蕪村
江戸時代の俳人の蕪村は、近景に郷の紅梅を、遠景に比良山の峰にかかる雨雲を大気のなかに詠んだ。雨は春のことぶれだ。
紅梅は散りて二、三を残すのみ花の精めく紅(ま)猿子(しこ)来てゐる 石川不二子
紅猿子は猿のように顔が赤い、アトリ科の鳥だ。風景の色彩に気品があふれる。
ながらみ書房『短歌往来』2014年1月号より
NO COMMENT
COMMENTS ARE CLOSED