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海霧とイセエビ

海霧とイセエビ

海霧が見たい。秋もふかまるとむしょうにそう思う。

海霧のニュースがながれたのは、去年は十月半ばが最初だった。ニュースのあと、次の冷えこむときをねらって出かけたが、むだ足を踏んでいた。場所は古座町田原海岸だ。

「十一月末から二月末までがよう出る時期やでね、また来たらええ」

民宿のおばさんがなぐさめてくれた。

海霧のようすは二とおり見られるという。夜に冷えこんだ山間の空気が、早朝の微風におされて田原川から霧となって海に流れこみ、帯のようにすーっと沖にながれていくようすがひとつ。もうひとつは、暖流との温度差により海面ちかくで水蒸気が霧となり、あたりいちめんにただようのだという。

再度、出かけることになった。今度は夫も息子もいくといいだした。三人は夜明け前に古座に到着できるよう、午前二時に出発した。頬がぴりぴりするほどの冷えた空気のなか、ひたすら車で南下した。大阪から三時間半。山と海とを縫うように走ると、もう南紀だった。串本の橋杭岩をすぎるとうっすらと闇がほどかれ、田原海岸が遠くに見えた。

祈る気持ちで熊野灘を見わたすと、凪いだ水面からなにやらゆらめく白いものがあった。

「きっ、きっ、霧やないやろか!」

私がさけぶとすばやく息子は海辺まで車を走らせ、カメラをつかんでとびだした。私も夫もその後を追った。

東の空がさらにしらみはじめた。やがて森戸崎(もりとざき)の島を後から抱きかかえるように太陽がのぼると、雲と霧と水のそれぞれが金色にかがやきはじめ、島や岩が逆光の影となって浮かびあがった。海面からわきあがった霧がさらに濃くなり、海霧は天と地をつつんだ金の大スクリーンのようになった。川の真水が大海にそそがれ、沖で潮水とまざりあう霧のようすまでわかった。

そのなかを影絵となって動くのは、帰港するイセエビ漁の船や岩のうえで竿をたぐる釣師、小魚をねらう鵜などだ。太陽があがりきるまでの三〇分間、私はすべてを忘れ呆然とながめていた。

太陽はあがり、ふとわれにかえった。あれほどゆらめいていた霧もすっかり消え、そこにはいつもどうりのおだやかな海辺の風景があった。たった三〇分間の夢まぼろしのような風景。だが脳裏にはいまも、金色の波がうちよせている。

それにしてもこの海でイセエビ漁だなんて知らなかった。私は下田原漁港にある、二十五件ほどの番屋の一軒にはいってみた。

ちょうど船からあげられた網をまんなかに五人ほどが集まり、かかったイセエビを手鉤ではずしたり、余分な藻をはずしたりの作業をしていた。ことにイセエビの脚や触覚を折らないよう、こまやかに動かす手鉤の技にはおどろいた。

「イセエビはもとは威勢エビやんで。手足よう動いてるやろ、みてみい。おまえらよー、伊勢でしか獲れんと思ってたんやろがー」

腰をのばしながら、漁師のおいやんはそういった。

伊勢海老の刺し網をしかけるのは日没前。内海と外海のぎりぎり沖合の水深二〇~三〇メートルの岩礁に、網をおろす。そして翌朝四時ごろ出港し、伊勢海老がかかった網を引き上げて、帰港する。そのころがちょうど霧の刻となるのだと教えてくれた。

おいやんは海が荒れる夜に海老がぞろぞろ岩からはい出し、網のたるみにひっかかる夢をよくみるという。その次の朝、船のさきの巻きあげ機が動いてイセエビが大量にかかっているのがわかったとき、気持ちがたかぶるのだと顔をくしゃくしゃにして笑った。

伊勢海老をながく思へば胸かゆし手とも足とも分かぬもしやもしや

本阿弥書店『熊野の森だより』より

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