Browse: Homeエッセイ → 橘

橘本神社_0049-48 十一月三日は文化の日。芸術や科学の向上発展に、めざましく功績のあった人びとに文化勲章が授与される。その勲章には永遠や悠久を願って、常緑樹の橘がデザインされている。白い五弁の花びらの中央に三つ巴の勾玉を配し、果実も葉も飾られ、まことに清楚で香気にあふれている。

二〇〇九年、演芸界初の文化勲章を受けたのは落語家、三代目桂米朝だ。羽織袴に橘の勲章をつけた姿は、ひときわ晴れていた。その桂米朝の持ちネタのなかに、古典落語『千両蜜柑』がある。船場の商人(あきんど)言葉の品のいいねばりと抑揚が魅力で、江戸のテンポとは異なる上方特有のお笑いにより、格差社会の悲哀をやわらげている。

あらすじは気の病を患う船場呉服屋の若旦那が、「蜜柑が食べたい」とひとこと言ったばかりにまわりがあたふたさせられる話である。時は土用の八月、蜜柑などあるはずはない。探しまわった番頭は、それでも一軒の青物問屋にゆきあたった。蔵のなかの保存蜜柑はすべて腐っていたが、最後の木箱をあけると痛んでいない蜜柑が一つだけあらわれた。問屋が只でくれると言うのを「金に糸目はつけぬ」と、番頭が見得をきる。問屋も意地になり、一つ千両とふっかけるのだ。若旦那のために大枚をはたく大旦那に、番頭は来年暖簾分けとなる自分自身をふりかえる。「あの渋ちん(親旦那)がくれるのは、どう見積もっても五十両やろ。この蜜柑一袋が百両、三つあるから三百両・・・」と、とうとう蜜柑三袋を盗んで逃げるという噺である。

船場の大旦那と青物問屋の主のキャラクターの、描きわけは難しい。桂米朝ほどの達者でなければ、むづかしいとひいきする。

私の郷里の和歌山は蜜柑の産地だ。明治まで紀州蜜柑を栽培していた農家は以降、甘味ある温州蜜柑の栽培に変わっている。それでも子供のころには、どこの庭にも紀州蜜柑の木が残っていた。種などは気にもせず、手足が黄色になったり舌がしびれたりするまで食べに食べた。仏壇や炬燵のうえや縁側にさえごろごろ転がっていたものである。

沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは紀の国蜜柑船       (蜜柑取り唄)

蜜柑船なら急いでおいで 江戸で売り子が待っている     (蜜柑取り唄)

ちょんちょんとハサミの音をたてて、蜜柑を摘みながら唄った労働歌だ。明治のころ流行した「かっぽれ」に取り入れられ、そこぬけに明るいリズムで全国にひろまった。

郷里では嫁入りのお座敷や新築祝いなどのおり、畳の表がすりむけるほど皆でくりかえし唄い踊った。最後に「蜜柑船じゃえ~」と片手をかざし、沖を見渡すポーズに片足立ちでまわらなければならない。酒の酔いでひっくりかえったら厄介だ。同席のものたちから「こげなくらいで倒れたら、紀伊国屋文左衛門に笑われるろ」と囃され、酒を飲まされ、また踊らされるからだ。そんなめでたい蜜柑のルーツをたどれば、古代の「橘」にゆきあたる。

櫻井満著作集『万葉の花』には「タチは顕(タ)ツすなわち現れる意であり、ハナはそもそも神意の発現を意味するから、常世の神意の顕現する聖樹」「万葉のタチバナは現在のヤブコウジ科のタチバナ(一名カラタチバナ)でなく、コミカン(一名コウジミカン)類の古名といわれる。キシュウミカンがその系統を引くものとみられている」と記している。みかんの原種_0046-48

『記紀』によれば第十一代垂仁天皇の命を受けた多遅麻(たじま)毛理(もり)(田道間守)が、不老不死の力のこもる蘰(かげ)八蘰(やかげ)・矛(ほこ)八矛(やほこ)(葉がついたまま折り取った枝や、葉を取り去って実だけがついた枝を八組)の非時(ときじくの)香果(かぐのみ)を常世からようやく持ち帰ってみると、天皇はすでに崩御されていた。それで大后に半分献り、御陵にあとの半分を捧げ、嘆き悲しんで死んだと伝えている。天皇の御陵は奈良市尼ケ辻西町にある、宝来山古墳に比定されている。濠中の東南に、多遅摩毛理の墓とされる小島もある。

またその実こそ橘であるよと、大伴家持も万葉歌に詠んでいる。温暖帯の常緑樹林のなか、冬枯れもせずに黄金に輝かせてますます美しい。

橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見がほし

大伴家持(万葉集・四一一二)

私には時おり会いにいく橘がある。熊野古道・所坂王子跡のある橘本(きつもと)神社(紀北・海南市)の境内の一本だ。蜜柑山の連なるなかに社はあり、初めて移植したと伝える「六本樹の丘」もある。かつて蜜柑は水菓子としてあつかわれ、多遅麻毛理はお菓子の神様として祀られている。『紀伊国続風土記』には白河上皇が熊野行幸のときこの社で通夜をされ、「橘の本に一夜のかりねして入佐の山の月を見るかな」と詠まれた。かつて社は橘の大木の下にあり、明治以降も樹齢二百年以上の大木があったという。

めあての木は、三メートル以上もの高さになっていた。初めて訪れた十年前には、一メートルもない幼木だった。初夏の風に白い花をほろっと散らしていた。そのおり、珍しい光景を私は見ている。花、蕾、大小の青実、枝から落ちなかった去年からの完熟の実と、一年をめぐるすべてがわかるように、花や実がついていたのである。

「ご神木やし、誰も採らんからよ。黄色に実っても落ちへんかったら、去年のも今年の花と一緒に枝にくっついてんのやして」と、近所の人は教えてくれた。

今年もたくさん実がなった。ひとつ皮を剥かせてもらったが種ばかりで、果汁も酸味が強すぎる。だが香りは格別だ。二〇〇〇年ほど前に常世から渡って来たという、非時香果をしばらく手にうけた。

ながらみ書房『短歌往来』 2010年12月号より

NO COMMENT

COMMENTS ARE CLOSED

© 2009 Yomo Oguro