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 その昔、身分ある人は鰯を食べなかった。

 「鰯」は「いやしい」に通じると、地位ある人ほど鰯を見下げていたという。たとえば紫式部が鰯をあぶって食べたとき、夫の宣孝から「貴族の私たちが卑しい魚を食べるとは何でしょう」と問われ笑われたほどである。

 神前に奉じ、宮中の祭事にも用い、語呂合せの「めでたい」もあって現在でも冠婚の膳には欠かせない。もちろん、鯛といえば真鯛をさすのである。

 「腐っても鯛」のことわざがある。本来優れた身分のものは、おちぶれてもそれなりの気品があるとの喩えだ。それに対照して中国には、「痩死的駱駝比馬大」のことわざがある。痩せて死んだ駱駝(らくだ)は馬よりも大きいの意味で、他より抜きん出ていることの喩えだ。「鯛」には海洋文化、「駱駝」には牧畜文化の発想がある成語だと、莫邦富(モーバンフ)著『鯛と羊』に解かれていておもしろい。

 『古事記』には宮崎の日南海岸の青島を舞台に、海佐知(うみさち)毘古(びこ)・山(やま)佐知(さち)毘古(びこ)の兄弟の物語があり、多くの神話のなかでも特に詩情豊かに展開する。兄弟はお互い仕事を交換するが、弟の山佐知毘古は兄の海佐知毘古から借りた釣針をなくしまった。返せとせまられて困っていたところ塩椎神(しおつちのかみ)と出合い、竹の小舟に乗せてもらい潮路にのって綿津見神(わたつみのかみ)の宮に着くと、その海神界の赤海鯽魚(たい)の喉から釣針が見つかるというあらすじだ。

 赤海鯽(そく)魚とは鯛のこと。鯽は鮒のことをいい、海にいる赤い鮒のような平らな魚ということになる。『日本書紀』にも同じ神話があって、赤女、赤鯛などの名でも登場する。 神話の釣針は、どんな針を想定していたのか。縄文時代の遺跡からは鹿の角製で し の字の形で、先端には返しのあるものが出土している。現在もこの形は変わってはいないことから、骨角製のものであったと思われる。

 鯛といえば瀬戸内海をあげたい。瀬戸内海は本州、四国、九州に挟まれた内海をいう。古代より近畿と九州を結ぶ重要な航路で、漁場としても繁栄した。潮の干満の差で強い流れの渦潮が発生し、海底の養分が常に上に巻きあげられ、プランクトンを育てる。 私はその瀬戸内に面した和歌山県内の加太で生まれた。亡父は若いころ鯛の一本釣り漁師だった。これは延縄(はえなわ)漁法などに対して、じかに釣糸を持ち魚と一対一の勝負をする漁法だ。赤イソメ、青イソメ、シラスなどの餌に似せ、ビニール、毛糸などを釣針にくくった疑似餌針を使う。海のなかではそれらがきらきら光り、鯛の関心を引くのである。 鯛は用心深く、餌をつついてみて食べかけるが一度は吐き出すという。次に食べてもいいと判断すれば、素早く餌を吸いこむ。そのタイミングを逃さず、釣糸をひきあげなければならないのである。

 山口県内の周防大島は瀬戸内に突き出た島だ。その南に沖家室(おきかむろ)島がある。向いの愛媛県との間に伊予の灘がひろがり、すぐれた漁場となっている。ここでは「かむろ鈎(ばり)」が用いられてきた。鯛が釣針を呑みこむとき、深く刺さりすぎると傷みが生じて価値がさがる。浅く確実にささるように、工夫されているのが特徴だと聞いた。

 周防大島の友人の計らいがあり、製作作業を見せてもらえることになった。

「あがりんさい、あがりんさい」

 くったくのない大らかな人柄の松本春久さんに招かれ、私達はすぐに仕事場に入らせてもらった。海の見える二階の窓際の棚には、さまざまな鈎型がずらりと並ぶ。松本さんは坐るとすぐ、ピアノ線を鈎型にあわせて小さく切りはじめた。トントン、ガリガリと音に勢いがある。この技術を持つのは今、八十五歳を越えた松本さんただ一人だが、最近やる気のある青年が一人あらわれたなどと、実に楽しそうだ。

 繊細に指を動かしては説明も続いた。①整形②焼入れ③錫鍍金の工程を経なければならない。ピアノ線を鈎型にはめて曲げる。先端をヤスリで尖らせて、返し(カスミ)をつける。糸を結ぶ部分(チモト)をヤスリでくぼませ、糸が切れないようにまるみをつける。焼きを入れると釣針は硬くなり、どんな大きな魚も逃がさない。錫を付着させる鍍金も、みずからの手で施す。

 かつては路地のいたるところで、金槌で形を整える音や金切り挟みの音などが絶え間なくひびいていたという。今は若者たちが島を離れ、人間が住んでいるのかと思うほどの寂しさだ。かつて佐野真一著『大往生の島』によって「不老長寿の楽園」で知られたが、明るすぎるほどの陽光のしたで、猫一匹に出会っただけだった。

醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)つきかてて鯛願ふわれにな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)                                                                         長忌寸意吉麻呂

酒なしに喰ふべくもあらぬものとのみおもへりし鯛(たひ)を飯(めし)のさいに喰ふ                                                                                               若山牧水   

 万葉集には鯛が二首登場する。そのうちの一首。「醤と酢に蒜をまぜ合わせ、鯛を食べたいと思うものを。水葱の羹なんかはいらない」というが、「酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌」と詞書があることから、作者の嗜好の表現ではなさそうだ。一方、酒好きの牧水らしい歌がある。鯛を酒の肴ではなくて、ご飯とともに食べたと驚いている。実は鯛と飯の相性は抜群なのだ。

 桜前線が通過するころ、漁場はいっそう賑わう。産卵する鯛が、内海の浅瀬に群れをなして集まるからだ。この時期のものを桜鯛と呼ぶほど綺麗だ。 全身が透明感のある赤色を帯び、ところどころ金や青の斑紋が輝いている。まん丸に見開いた目の上部が青く光り、まるで生きた宝石だ。尾や背の鰭を張って箱の外へ飛び出さんばかりに、びしっ、ばしっ跳ねる豪快な姿はまさに魚族の王者なのだ。 

                       (写真撮影:大野順子Rothwell)

                ながらみ書房『短歌往来』2011年2月号より 

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