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遊行の民・遊び

 三重県のある山中に、卵型の大岩がある。

岩の表には太陽の力が、後には月の力がそれぞれ籠っていると伝承されている。ストーンサークルの痕跡かと思うほど岩が並ぶが、卵岩のほかは藪のなかに没している。知る人のみが知る聖地だ。

 数年前の秋、そこで月祭りをするからと知人にさそわれた。満月の下、集まったのは女性ばかりの九人だった。卵岩に注連縄がかかると、ひとりが篠笛を吹きはじめ、次の人が神楽歌を歌えば、踊りはじめる人もあらわれた。白い布をまとい、蔓(かずら)を挿頭(かざし)にし、手には榊を持った。なかばトランス状態で急斜面をすべりそうになりながら、岩の前や林間をステージに、二十分ほど舞っているのを見ていた。突然、木々の葉がバラバラ鳴りわたり、一陣の風が祠の上に渦巻いて消えた。

「岩神さま、起きたわ」

「ほんとね、意外と大きい力よね」

 木の揺れ、月光の冴え、空気の透明感の変化などから推測し、神酒をそそいでは満足そうに語りあった。一行はこのあとも、各地の埋れた祖神を尋ねては歌舞をささげ、蘇らせながら移動を続ける。いつもその地に導かれるように、自ずとたどりつくという。

 月光は一段と明るく、闇が濃くなった。

  夜渡るはあかき月かも流るるは夜神楽こよひ楽しめとこそ         藤井常世

 中世歌謡風のかろやかな調べにのせて、夜神楽にむかう時間の高揚感と、神秘的な月が美しい。ひとときを遊べよというようなあかい月だ。

 古代人にとって、遊びの意味は深い。『古事記』上巻の忍穂耳(おしほみみ)命(のみこと)と邇々芸(ににぎの)命(みこと)の章に、天若(あめわか)日子(ひこ)の葬儀が語られる。

  乃(すなは)ち其処(そこ)に喪屋(もや)を作りて、河鴈(かはかり)をきさり持(もち)と為(し)、鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)と為(し)、翠鳥(そにどり)を御食人(みけびと)と為(し)、雀(すずめ)を碓女(うすめ)と為(し)、雉(きぎし)を哭女(なきめ)と為(し)、如此(かく)行(おこな)ひ定めて、日(ひ)八日(やうか)夜八(よや)夜(よ)以(もち)て、遊びき。

 喪屋を作ってそれぞれを割り当てて八日八晩、歌舞音曲を奏している。それは死者への鎮魂の祭りであり、復活儀礼でもあった。死体が腐乱しはじめてから、魂は死の世界へ移る。それまでは生の世界へ戻ることもあるとされていた。八日八晩は魂の蘇生を祈る、殯(もがり)の期間であった。

 同書上巻の天照(あまてらす)大御神(おおみかみ)と須佐之男(すさのおの)命(みこと)の章には、天照大御神の魂の死と蘇生が語られる。天の(あめの)石屋(いわや)は生死の境界にある、喪屋と思われる。

  天宇(あまのう)受売(ずめの)命(みこと)、手次(たすき)に天の(あめの)香山(かぐやま)の天(あめ)の日影(ひかげ)を繋(か)けて、天(あめ)の真拆(まさき)を縵(かづら)と為(し)て、手草(たぐさ)に天の香山の小竹(ささ)の葉を結(ゆ)ひて、天(あめ)の石屋(いはや)の戸にうけを伏(ふ)せて、蹈(ふ)みとどろこし、神懸(かむがか)り為(し)て、胸乳(むなち)を掛(か)き出(い)だし、裳(も)の緒(を)をほとに忍(お)し垂(た)れき。爾(しか)くして、高天(たかあま)原(のはら)動(とよ)みて、八百万(やほよろづ)の神共に咲(わら)ひき。

 蔓それぞれをたすきや髪飾りにし、手には笹を持ち、ふせた桶を踏み鳴らし、神がかりして半裸に舞った。そして高天原が鳴り響くほどに数多の神がどっと笑った。このあと石屋からのぞく天照大御神は、「何の由(ゆえ)にか、天宇受売は楽(あそび)を為し、八百万の神は諸(もろもろ)咲(わら)ふ」と問いかける場面へと続く。

 谷川健一著『古代歌謡と南島歌謡』には、「桶をふせて踏み鳴らす行為は、杵で臼をつく動作の変形である。臼をつくのは生成の呪術であった。そこから天宇受売を天の臼女と解する説も生れる」と述べる。死者のかたわらで近親者が歌舞することについては、『南島古代の葬儀』のなかで、民俗学者の伊波(いは)普猷(ふゆう)も「明治の頃の話として報告している」として、こうした風習は古くは『魏志倭人伝』のなかに、「始めて死すれば喪を停めるに十余日、当時に肉を食せず、喪主は哭泣し、他の人は歌舞・飲酒を就す。すでに葬れば家を挙げて水中に詣り澡(あら)い浴(あら)う」の記述があることをあげ、少なくとも『倭人伝』の頃の弥生後期までさかのぼることがわかると指摘する。

 「遊」「楽」は祭りの一部で、神楽は神遊びであった。言葉の変化は時代の変化。神話の殯の遊びや東北地方のオシラ遊びから、遊女や享楽の遊びにと変化するのである。そして巫女、傀儡女、遊女、白拍子女など、さらに分化されてゆく。

 室町時代の小歌集、『閑吟集』から。

  うたへやうたへうたかたの あはれ昔の恋しさを 今も遊女の舟遊び 世をわたる一節(ひとふし)を うたひていざや遊ばん

 泡のようなはかない昔を恋偲び、今も遊女が舟遊びに世過ぎの手だてとしてしている一節を謡い、さあ浮かれ囃そうよと、哀しいまでに華やぐ。謡曲「江口」の一節だ。歌僧・西行法師が江口の里で遊女・妙(実は普賢(ふげん)菩薩(ぼさつ)の化身)と歌問答をし、川逍遥のようすを見ているところである。

 脇田晴子著『女性芸能の源流』には、遊女が普賢菩薩になるのはなぜだろうと、推考している。「今様の神歌を謡う功徳により、往生すると信じられていた。したがって単なる遊女ではなく、今様を謡いつつ往生するという、いわば念仏往生と似た局面があるのである。しかしその背後には遊女の癒(いや)しの機能といったものに対する男性たちの都合よい憧憬(しょうけい)があらわれている」とするどく指摘する。長年の売色の体験によって、人間の真実に目ざめたということだろう。

 普賢菩薩の化身だった遊女も、時代とともに罪業深く観られる。『法然上人行状絵図』には、室津から土佐に配流される法然から、身を嘆いた遊女は教えさとされている。これについて五来重は、大乗仏教の菩薩道では、罪業の身そのままで発心すればすでに菩薩であり、浄土教では罪業の身でひたすら阿弥陀を信じれば往生できるという二面が働くと説く。泥沼のなかにも咲く一輪の花を見つけようとした、遊女たちの願いがこめられる。

(写真撮影:楠本弘児)

ながらみ書房『短歌往来』2011年9月号より

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