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 葛城は奈良盆地の南西部にある。そこの御所市に一言(ひとこと)主(ぬし)神社があり、私たちは「いちごんさん」と親しんでいる。境内の公孫樹を見あげると、物音ひとつしない静けさのなかで、千年の歳月もひとまたぎに思えてくる。

 古代、このあたりは葛城氏の勢力圏にあったのは知るところだが、その地名の由来にはおどろいた。神武天皇即位前紀の、先住民虐殺の記憶をとどめていたからだ。

 『古事記』『日本書紀』にはここに住んでいた先住民のことを、「土蜘蛛」または「都(つ)知久(ちぐ)母(も)」という蔑称で記した。「土隠(つごも)り」からの名だとすれば、穴居生活だったことが想像できる。また身体つきにしても、「身短くて手足長し。侏儒(ひきこと)(普通より背が低い)と相(あい)類(に)たり」など、異類を見るようなきびしいまなざしだ。皇軍に抵抗した先住民が、葛でできた網で捕らえられ殺されたりしたことで、葛城の名がついた。

 日本のあちこちには、蜘蛛塚が今も残る。その塚のひとつが、一言主神社の神殿の右側にあった。植木でわかりにくいが、腰をさげれば塚の上に大きな重石が載せられているのが見える。死んでなお土蜘蛛が這い出てくることのないよう、大石で封じたという。葛の網で傷ついた先住民が、ここに切り刻まれ打ち重なって葬られたと思うと、まさに鬼気せまるものがある。

 神殿のもっとも近くに塚があることから、一言主神社は葛城氏の氏神だったのではと、推察できるだろう。だが本来、神の近くに怨念をもつ塚などは置かない。神聖な神の力をさえぎることになるからだ。つまり、皇軍側が土着性の強い一言主の復活を非常に恐れ、無念の詰まった塚によって、その力を封印しようとしたのであろう。二〇〇五年に発掘された極楽寺ヒビキ遺跡の居住跡は、ヤマト王権とせりあった豪族の、隆盛と衰退をクローズアップさせるものであった。

 桐村英一郎著『ヤマト王権 幻視行』のなかには、『古事記』『日本書紀』の記載の違いから、両者の力関係をおしはかっている解説がおもしろい。

 『古事記』は雄略天皇が下手にでているから、まだ葛城氏が力を持っていた時代の雰囲気を反映しているのではないか。一方、同じ逸話を伝える『日本書紀』は中身が微妙に違う。雄略が恐縮し大神に武器や衣類を献上するというくだりがない。そのうえ、葛城の神が雄略を見送る様を見たひとびとが「天皇は徳のあるお方だ」とほめたとある。『日本書紀』は葛城氏の没落という経緯を映し出しているようだ。

 葛城圏内を巡ると、権力に追われ暴力に傷ついた者たちにとっての、聖なる場所ではなかったかと思わされる。謀反の汚名を着せられた大津皇子や、一夜にして曼荼羅を織った中将姫なども埋葬されている。飛鳥京から見れば、それこそ俗の権力から逃げた、鬼たちの棲む場所であったと考えたくなる。

 近畿内のとくに葛城の寺院をめぐるとき、役小角の像によく出あう。そのほとんどが鬼の夫婦を従えたものだ。なかには、履いた高下駄で鬼の夫婦を踏みつけたものもある。

 役小角に関して、室町時代末期の『役行者本記』によれば、生まれは七世紀半ばで舒明天皇六年(六三四)のころとなっている。そして三十六歳のとき、葛城山で修業中に生駒山中を棲み家とする二人の鬼に出あった。人間を害していた鬼の夫婦を呪力で縛りあげ、不動明王の四句(しく)の偈(げ)(仏の功徳をほめたたえる詩)を授け、従者にしたという伝説にもとづいた像であろう。そしてこのときから、人間に生まれ変わったのである。

 鬼神のなかでも特に有名なのが、この前(ぜん)鬼(き)と後(ご)鬼(き)だ。もともとこのものたちは、大阪府と奈良県の府県境にある生駒山に棲む、夫婦の鬼であった。夫の名は赤(あか)眼(め)、妻の名は黄口(きくち)といい、五人の子持ちであった。

 夫の前鬼は陰陽の陽を表す赤鬼で、鉄の斧を持ち、小角の進む前を切り開いた。笈をせおっていることがある。後鬼は陰をあらわす青鬼で霊水の入った水瓶を持っている。種を入れた笈をせおっていることが多い。

 いったいこの鬼は何をあらわすのだろう。

 もとは山の神であったものを、伝説化させたのだろうとか、山の民や山伏そのものではないかなどと言われる。

 五来重著『修験道の歴史と旅』には、一般に山中の修行者には、童子といわれる山民の従者がいたとしている。水汲み、果物採り、薪ひろい、食事の準備などの世話を奉仕したのだが、このような童子たちが後世に、堂衆(僧兵)や山伏になってゆくことがわかってきているという。

 さて、後鬼の名は五鬼となり、子のひとりの鬼助の六十一代目にあたる五(ご)鬼(き)助(じょ)さんは、いまも変わらず、下北山村で小仲坊という宿坊を営んでいる。そして、山伏たちの世話をしている。前鬼は地名として残った。

 

  茶髪逆立て塵紙呉るる若者ら前鬼(ぜんき)の裔か後(ご)鬼(き)の裔かも  前登志夫

  鬼の童子ひたに踏みつぐ足拍子さくらほろほろほろほろこぼる     成瀬有

 私も二年前、おもしろい体験をした。奈良の吉野山中にある古い神殿には、昔から奇妙な噂があった。中には大天狗が棲んでおり、人間が賽銭をいれて柏手をうつため、自分自身を神と勘違いしているというのだ。

 私と長男はそこを避けて、社の後ろを通った時、中からにょにょ~と姿があらわれた。長男は屋根や神木の高さから見て、「四メートルあるな」といった。私には見えなかったが、強いエネルギーが身体にジーンと伝わったので、これが天狗なのかと思った。害のない人間と察したのか、しばらく見送ってくれた。長男とは、「こんなん話しても、誰も信じてくれへんやろね」と笑いあった。

                  ながらみ書房『短歌往来』2012年4月号より

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