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 今も昔も水辺は変わらずにある。古座川の透明な流れを前にして、そう思った。

 去年の九月の台風十二号の来襲に、熊野一帯は豪雨による山津波を起こし、ここ古座川でも川沿いの民家をすべて呑みこんだ。川はたちまち泥水と化し、綺麗な水にしかすめない魚や虫や藻などは姿を消した。

 古座川は熊野灘に流れ出る、全長五十六キロの清流だ。私はここで鮎についての珍しい料理や漁法など、ずいぶん見せてもらっている。はたして今年、鮎はどれほど戻ってきてくれるだろうか。そんなことを思いながら、早春の岸辺を歩いていた。

 鮎の寿命はずいぶん短く、一年しかない。そのほとんどを川で過ごすのだが、海にもくだっている。夏から秋にかけては、川の中流や下流で産卵をする。卵が孵化して仔魚(しぎょ)になると海にむかい、しばらく浅海にいる。そして春になれば、川をさかのぼる。そのきっかけは体が大きくなったというだけでなく、甲状腺ホルモン、自然条件(水温・音・光)などがかかわってくるという。川の中流までさかのぼり、石についた水苔(藍藻(らんそう)・珪藻(けいそう))を食べて成長する。夏、鮎は新鮮な水苔をいっぱい食べ、なわばりをつくって生息をする。

 ちょうどそのころ、一般にも鮎漁が解禁となり、友釣りがはじまる。ほかにも鵜飼漁、筌(うけ)漁、手づかみ、ヤス突き漁、毒流し漁、簗(やな)漁などがあり、秋道智彌著『アユと日本人』のなかには詳しく研究されている。

 ここ古座川には古くから伝わる鮎漁法の、笹立て(・・・)漁(・)や火振り(・・・)漁(・)がある。鮎師が漁を芸術の域にまで高めたといいたくなるほどの、美しい技なのだ。

 笹立て漁は、産卵のために川をくだる落ち鮎をねらう。九月中旬からおこなわれる漁法だ。あらかじめ浅瀬に笹を立てて、関をつくっておく。鮎の群は立った笹を警戒し、手前でとまる。すかさず、そこに網を投げるというものだ。もちろん鮎の逃げ道も、ちゃんと作られる。

 ここで打つ網を小鷹網(こだかあみ)という。幅は六十センチ、長さ八~九メートルほどの帯状の網で、上部に浮きとなるアバ木、下部に鎖状のおもりと鮎を追いこむ袋網が付けられてある。水中でくさび形の壁を作るよう投げるための、華麗なる技を見せてもらった。

 川の瀬にむかって投げられた刺網は、左右におおきく広がる。ちょうど、獲物をねらってとびたった鳥の両翼のようにも見えることから、小鷹網の名がついたという。水面を低く滑空し、水中にバサーンと落ちるとき、網は魚影をすばやくおおうのだ。 網にびきびきひっかかる鮎を見て、私も投げさせてもらったが、翼は閉じたまますぐ落ちた。

 水量の変化、風の向き、明日の天候まで鮎は察知するという。そんな賢い鮎の成長にあわせ、網の目も二センチ角から五~六センチ角まで、約十種類を使い分けしなければならないほど繊細なものなのだ。

 小鷹網とは江戸時代、紀州徳川家の御用鮎師が、鮎を献上するためにあみだしたものといわれる。万葉歌にもなじみの深い紀ノ川の妹背山の見えるところに、妹背(・・)の(・)淵(・)という藩の御漁場があった。おかかえ鮎師であった小西家に伝わる「茜屋流」が、熊野でも使用されるようになったのだろうと聞いた。

 同じ時期、落ち鮎をねらう夜の漁に、火振り漁がある。日没後の、漆黒の闇のなかでおこなわれる。まず、鮎が眠りについたころを見はからい、舟にふたりで乗りこむ。川面をすべらせながら、音を立てずに刺網を水中に仕掛ける。そのあと、川上から川下の方に舟をすすめ、水面ぎりぎりに松明の炎を左右に振り、鮎を網の中に追いこむ。

 照明はすべて消される。星明りの岸辺で見守るとき、聞こえるのは草むらの虫の音、川中の松明の杉のパチパチ燃える音、舟のへりをコーンコーンとたたく櫂の音のみだ。松明の乱舞がゆらゆらと水鏡に映り、怪しいほどに静かで美しい。

 遠くからは優美にゆれる松明だが、三十分ばかり休みなく振り続けなければならない。途中で交代せずに、最後まで華麗に松明を­振り続けるのは至難の技だろう。舟をゆっくりすすませる舵取りとの絶妙な呼吸に、岸辺の人々から、拍手が湧きあがっていた。   

 『日本書紀』(巻九・神功皇后の条)のなかに、神功皇后が九州の松浦半島で鮎を見ている。縫針をまげて釣針をつくり、飯粒を餌にし、御裳(みも)の糸をぬきとっては釣糸とし、魚占いをされた。これは文献中、最初にあらわれる鮎釣りの記述だ。飯粒から、稲作伝来のあとのことと考えられるだろう。

  松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ 大伴旅人(万葉集 巻五・八五五)     

 「松浦川の川の瀬が美しく照り映え、鮎釣りをしようとお立ちのあなたの裳裾が水に鮮やかに濡れています」と詠む。大伴旅人が松浦川で催した宴のときの歌。松浦佐用姫の民間伝承にロマンを感受し、歌物語に展開させたうちの一首。

 わが家には冬の間の保存食として、炙(あぶ)り鮎を置く。晩秋の鮎を三日ほどかけて備長炭で焼いたものだ。遠赤外線でじんわり焼きあげると、水分がすっかり抜け、黄金色の芳香ある炙り鮎ができるのだ。とても濃い出汁なので、野菜をたくさん入れて白味噌の雑煮にすると、家族からはとても喜ばれる。「うどんやソーメンの出汁にしたらええ」 地元の方はそういうが、天然鮎の出汁なんてとても贅沢な気がしてしまう。

 死へ一直線にむかう若鮎の歌がある。

  青年よ汝(なれ)よりさきに死をえらび婚姻色の一ぴきの鮎         塚本邦雄

(写真撮影:楠本弘児)

ながらみ書房『短歌往来』2012年5月号より

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