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 昭和二十七年ごろのお座敷唄に、「ヤットン節」があった。「お酒飲むな酒飲むなのご意見なれど、酒飲みゃ酒飲まずにいられるものでしょか~」と、調子のよい酒飲みの開きなおりの歌だった。

 会社の慰安会などでは、まずこの歌で手拍子をとって座敷を盛りあげ、どんちゃん騒ぎがはじまった。宴会がカラオケに変わってから、へべれけになった人はほとんど見かけなくなったが、無礼講のもとに酔いにまかせてひととき、日常の鬱憤から解放されるのを楽しんでいたのである。普段、もの静かな人が宴会になると、人格が変わったように踊り歌うからびっくりした。酔いが覚め、言い訳をする様子を見て、幼心に酒の力はとても恐怖だった。

 『常陸国風土記』には、鹿島神宮の春の祭祀について記載する。

 「年別の四月十日に、祭を設けて酒を灌(の)みす。ト(うらべ)氏の種族やから、男も女も集会ひて、日を積み夜を累(かさ)ねて、飲み楽しみ歌び舞う」とある。

  あらさかの 神のみ酒を飲(た)げたげと 言ひけばかもよ 吾が酔(ゑ)ひにけむ

「尊い神の酒を飲めとすすめられたので、私は酔ってしまったのだらう」という。古代の酒は酔うことで、神に近づいたらしい。祭祀にかかわった男女が、われを忘れて酔いしれる様子がうかがえる。酒ではめを外すことは今も昔も変わらない。

 日本の酒造りは神話にまでさかのぼる。その始祖として大(おお)国主(くにぬしの)や少名毘古那(すくなびこなの)がいる。また、出雲神話にはその土地に在住する荒ぶる神の八(や)俣(またの)大蛇(おろち)は、八(や)塩折(しおり)酒におびき寄せられ、酔いつぶれるまで飲んで、須佐之男(すさのお)に草薙の剣をもって退治されてしまっている。

 なかでも、木花之(このはなの)佐久夜(さくや)毘(び)売(め)が米を口に含んでは噛み、天(あまの)甜(たむ)酒(さけ)を造ったという説話に注目したい。弥生時代の農耕社会がすすむなかで、それぞれの家の女性が、米を噛んで酒を造っていたのである。

 唾液のなかには澱粉分解酵素の、アミラーゼやジアスターゼがある。それを利用して、大気中にある野生酵母の働きで発酵するという原始的な方法だ。これは東アジアから南太平洋、中南米などと広範囲に分かれ広がっている。

 主婦あるいは娘のことを刀(と)自(じ)といったが、これは古代の酒造りや管理が女性であったことをあらわし、現代の杜氏へとつながっている。

 酒は神への重要な供物であり、神と人とが相饗(あいにえ)(神人共食の儀礼)するためのものだった。酒は興奮や陶酔を誘い、神と人とが一体となるにふさわしい飲み物だった。酒の起源を神にもとめるのもそれゆえだ。そして、女性が巫女として神に仕え、女性が酒を醸すということがもとになっている。

 どのようにして酒造りをしたのか、常木晃編『食文化―歴史と民族の饗宴(シュンポシオン)』には、具体的に記述されている。西表島の祭の酒、ミシを実際に口に含んで噛んで造った女性からの聞き取りが興味ぶかい。

 まず米をふるいにかけるが、それを花(ぱな)米(ぐみ)といい、それは神前に供える。ふるいから落ちた割れ米を、水に浸して軟らかくする。充分に水を吸ったら水気を切り、臼(うす)とたて杵で粉になるまで砕く。これを粉(クー)割(バリ)という。割米はさらに、竹製の細かい目のふるいでふるう。上に残ったものを鍋で炊く。炊きあがれば、ふるいの下に降りた細かい粉を生のまま混ぜる。この混合物を噛むのである。噛むのは乙女の仕事だった。

 明治四十一年生まれのYさんは、十四歳から十七~八歳までミシを造っていたという。歯のじょうぶな未婚の娘が六人選ばれた。塩で歯をきれいに磨く。それからクンガニ(ヒラミレモン)の実の皮をむき、その酸っぱい実を食べる。こうしてから噛むと、ミシの味が出るといわれる。六升入りの大鍋を取りかこんだ六人の娘が、噛んだものをそのなかに吐き入れる。朝から噛みはじめても、昼すぎまでかかった。それを二日連続で噛んだ。終わるころには口がだるいだけではなく、固くなってしまったという。とてもきつい労働だったのだ。

 ひととおり噛み終わると、石臼で挽いて甕に入れる。甕は内側をあらかじめ藁を燃やした煙でいぶしておく。通常、三日くらいたつと甕のなかで発酵し、弱い酒になる。ミシは四~五日たつと酸っぱくなる。これはアメーバ赤痢の治療や病後の人に、精をつけるといってすすめられたという。

 万葉集には三三八~三五〇まで、「太宰帥大伴卿の酒を讃むる歌十三首」がある。

  験(しるし)なき物を思はずは一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし    三三八

  あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見れば猿にかも似(に)る   三四四

 旅人は酒好きだった。一首目、濁り酒はどぶろくのこと。「考えても仕方ない物思いなどせず、一杯のどぶろくを飲むのがよいらしい」と詠う。二首目、酒宴の席でのしらふは興ざめだったらしい。「何とまあ醜いこと。賢ぶって酒を飲まない人をよく見ると、猿に似ているのではないかなあ」と詠う。            

  長生きはめでたしとのみいえざれど酒飲むための一(ひと)生(よ)長かれ  佐佐木幸綱

 この歌からも、「お酒飲むなの御意見なれど」が聞こえてくる。酒無くて何のための一生かと、言い切った。

 白米から造る酒は日本独特のもの。奈良時代の酒ランキングをあげると、清酒・濁酒・辛酒・酒滓の順だった。

ながらみ書房『短歌往来』2012年7月号より

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