櫛
櫛は髪を梳り、汚れをとり、髪に挿して飾るものとして、世界の人びとから慈しまれてきた。日本の黒髪に映える鼈甲(べっこう)や蒔絵をほどこしたもの、ヨーロッパの絢爛たる巻髪を飾った宝石や透かし彫をほどこしたもの、アフリカのちぢれ毛をほぐすための縦のものなどと、種類は多い。そして、その歴史はそうとう古い。
わが国において、福井県の鳥浜貝塚では、縄文前期の藪椿製の赤い漆塗(うるしぬ)りの竪(たて)櫛(ぐし)が出土されている。男女いずれのものかは不明であるが、五千年ほど前の人びとの髷(まげ)を飾ったであろう挿(さし)櫛(ぐし)だ。その形状には、驚くばかりの美意識の高さが見られる。
縄文から弥生に移る二千数百年前の頃になると、『魏(ぎ)志(し)倭人(わじん)伝(でん)』の倭人の風習を述べる一節に、屈紒(くっけい)(おさげや髷(まげ))の女性があり、古墳時代の埴輪女性にも、大きめの髷が結われていたりと、櫛の存在がうかがわれる。
愛知県の彼(ひ)岸田(がんでん)遺跡からは、古墳時代中期の横櫛が出土されたが、横櫛では国内最古級だといわれる。縄文時代から縦に長い竪櫛が使われていたが、横櫛については渡来系の技術の系譜上にあるもので、年代は四世紀末~五世紀前半のものと推察できるという。櫛の原型を保つ、素朴なものだ。湿地のため腐敗を免れたらしく、一部欠けてはいるが、歯は十九本とも残った。朝鮮半島から渡来した、鉄製ノコギリで作ったと考えられている。
その櫛を現代に復元しているのが、名古屋市の櫛留商店の三代目、森信吾さんだ。工房に保管してある一つを、見せてもらった。
「櫛はもとは芸術品などではないんですよ。日用品ですからね」
との言葉に促され、触れさせてもらった。縦五・五センチ、横七・七センチ。歯と歯の間隔がやや広い。素材は桑の木で色は浅黒く、非常に軽い。指先の延長といった感覚だ。髪を梳る古代女性が目の前にふっと佇(たちどま)った。
髪を解く、髪をたばねる。やはらかく土巻きしむる木の根のこころ 福井和子
解いたり束ねたりは、手櫛でしているのだろうか。野性味ある女性が重なって見える。
森さんはご子息で四代目の英明さんとともに、本黄楊の櫛を手作りしている。腕のいい職人が消えてゆくわが国において、唯一、相撲櫛を作る職人なのだ。それ以外にも歌舞伎の役者や、一般人の使うものまである。工房では黄楊にヤスリをかける、やわらかい音がBGMのように聞こえていた。
森さんは櫛の種類や制作工程を、説明してくれた。素材は鹿児島産の本黄楊を使用。黄楊の板を軒に一年、陰干しすることから始まる。乾燥での歪みや反りのかげんをみながら板同士を束ね、鉄のタガで「板締め」をし、燻し乾燥の「燻蒸(くんじょう)」をする。専用の燻(いぶし)窯(がま)に、ぎっちり積んで燻すのだ。こうすることで、材の樹脂分が固まり、木質が締まって狂いが出なくなる。二~三ヶ月燻したら、束ねなおして二~三ヶ月の陰干し。これを何度もくりかえす。一枚の板がまっすぐなるのに、実に三~四年もかかるという。
まっすぐになった板を、「歯挽(はび)き」する。櫛の寸法に糸ノコギリで切るのだ。それにカンナをかければ、燻しで黒い表面から黄の木肌が見えてくる。さらにノコギリで切り目を入れ、一本づつ歯を作ると、櫛の形ができあがる。ここからの「歯(は)摺り(ずり)」がまた、気の遠くなる作業だ。数種類の磨き棒で丁寧に削り、滑らかにする。先摺り・中摺り・根摺りをするなかで、黄楊の歯は弾力に富み、歯をおしわけてヤスリが食いこむのがわかるという。仕上げは植物を使った、「木賊(とくさ)研磨(けんま)」だ。乾燥させた茎を開き、木の棒に貼りつけたもので磨く。ざらざらの表面で仕上げると、静電気がほとんど起こらなくなり、頭皮に心地よい櫛通りとなるのだ。
一本あたり、三千回以上も磨きあげ、歯から全体を仕上げていく。背の部分にカンナをかけて滑らかにし、さらに木賊で磨く。最後にバフと呼ばれる布で磨きをかけると、木目の美しい逸品が生まれる。完成まで約五年。小さな櫛に、職人の生命がふきこまれる。
今の私たちが、かつらではない本物のちょんまげが見られるのは、相撲だけだ。関取のちょんまげといえば、大銀杏のことだ。ところが元禄の時代には、それぞれ好みの髷(まげ)を結っていた。なかでも両国梶之助という関取りは、土俵にあがるとき白粉を塗り、黒々と結いあげた前髪立に二枚櫛を挿していた。当時の二枚櫛は、花柳界の女性風俗であったということから、その艶やかさでも人気を集めていたのだろう。今の相撲から思えば、櫛を挿したままだと怪我の心配があるが、当時は頭突きで相手を負かすのは拙い手だと思われていたので、「そんなこたぁ、しないぜ」という意思表示だったようだ。そして相手によっては、櫛が落ちたら負けにしてやると、タンカを切っていた。
『古事記』上巻の黄泉国の項には、黄泉の国の女帝になっていた伊邪那美から逃亡するため、伊邪那岐は御角髪に挿している爪櫛の歯を折り取って、投げ捨てる場面がある。そこからたちどころに筍が生えたというから、竹の櫛だったと解される。
万葉集に、黄楊の櫛に託した恋歌がある。
君なくはなぞ身装はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊の小(を)櫛(くし)も取らむとも思はず
播磨娘子 (万葉集 巻九・一七七七)
ながらみ書房『短歌往来』2012年9月号より
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