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 妖怪、タンタンコロリンは柿の実のお化けだ。宮城県の民話にでてくる。

 ある寺の小僧のもとにきた男が、すり鉢ですった自分の糞を食べろという。小僧は嫌がったが、男が怒るから仕方なく食べた。するととても美味しい柿の味がした。不思議に思った小僧が、そっと男の後を山奥までつけたが見失った。あくる日、寺の和尚と一緒に捜した。柿くさい(・・・・)方へ行くとそこには大きな柿の木があり、とる人のない実がぼたぼた落ちていた。和尚は「この柿の実が化けて通うのだべ」といって、柿の実を拾い集めて持って帰ったところ、不思議な男はもう現れなくなったという話である。 

 タンタンコロリンとは丸くてころころした形をあらわし、オムスビコロリンに音が似ているので親しめる。柿の実は木に放置したままではもったいないとの教訓がある。他にも例があり、時代を越えて多くの人に愛されてきたことがわかる。

 明治時代に正岡子規は奈良法隆寺を訪れ、境内の茶店で出された御所(ごしょ)柿(がき)から、「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」の句を詠んだ。江戸時代に和歌山県から奈良県を横断する、紀の川の上流域で生まれたのが柿の葉寿司だ。葉の殺菌効果で保存が効く。また、古代食と称する料理には、甘味料の干柿はかかせない。そして平城宮跡や地府県の弥生遺跡から、種が多く出土している。

 古くは弥生時代から食べられてきた柿のはずなのに、なぜか『古事記』『日本書紀』や『万葉集』にすら登場しない。

 植物として日本の文献に登場した最初は、平安時代の系譜書『新撰(しんせん)姓(しょう)氏録(じろく)』だ。柿本臣の姓は、家門に柿の木があったからと伝える。兵庫県明石市には柿本人磨朝臣を祀る柿本神社があり、その御神木は柿の木だ。系譜書に書かれている木とは異種かも知れないが、毎年、筆先のようなかわいい豆柿が実る。寒風で干柿状になったものが、地面にぽろぽろ落ちる。

 私たちの身近なところでは正月には、橙と串柿をつけた鏡餅を床の間に飾る。去年の豊作を祖霊や氏神に感謝し、かさねて今年の豊作を祈願するものだ。橙は玉(・)、餅は鏡(・)、串柿は剣(・)とする、三種の神器の見立てだという。

 大阪府と和歌山県を分ける和泉山脈の、南斜面の中腹(標高約三〇〇メートル)の山間に四郷(しごう)の里がある。四郷では四百年以上もの前から、串柿作りをしている。今年も秋が深まる十一月頃には、その作業がはじまる。

 車で一車線の細い道を南へ、鍋谷峠を越えたところで眼下に集落が見える。柿のれんが帯状にずらっと並んだ風景はみごとだ。山間では冨有柿より小さい四(よ)つ溝(みぞ)柿を栽培する。先端がややとがったハート型で、側面に四つの浅い溝があるのが特徴だ。軒先や干場には所せましと柿の玉のれんが吊るされ、山里はひととき柿一色に染まるのだ。

 一軒の作業所に入った。作業所には収穫したばかりの柿のコンテナーが、どんと積みあがっていた。そのなかでひたすら作業を続ける、辻本悟さん夫婦にであった。

 奥さんは自動皮むき機を作動させ、皮むきをしていた。機械に柿を一個ずつおくと、上部から刃がおりて、くるくる皮がむける。一分間に十五個のペースで、柿は丸裸になってゆく。それらを辻本さんが、竹串に十個づつ刺してゆくのだ。ふたりで一日一万個の皮を剥き、千本の串を作ると聞いたとき、思わずのけぞった。

 一串に十個を刺すのだが、内側に六個、外側に二個ずつ配置する。互いの作業の呼吸がぴったりで、まことに手速い。

 「夫婦にこにこ(二個二個)、仲むつ(六個)まじくや」 語呂合わせで縁起をかつぐ辻本さんだ。

 吊るすこと約一ヶ月。その間に、十回以上もプレス機で軽く押しつぶす。そうすることで、白い果糖の結晶が表面に出てくる。十二月中旬から出荷され、正月を待つのである。

 四つ溝のほかに有名な渋柿は甲州百目、富士、平核無、刀根早生、西条柿、市田柿、会津身知らずなど種類がとても多い。なかでも短歌から一躍有名になった品種がある。

 掌のなかに宇宙はありと思うまで甲州百目肉透きとおる       三枝昻之

 果肉はこまやかで品がある。このように大きなスケールで詠まれると、すぐにでも食べたくなる。甲州百目は釣り鐘形で大玉だ。半乾燥のあんぽ柿や完全乾燥の枯露柿(ころがき)として食べる。古くからある渋柿で別名、蜂屋、富士とも呼ばれ山梨県を主として、福島県、宮城県などで栽培されている。

 学名『KAKI』と日本名が使用されている。それでは純国産かというと、そうでもなさそうだ。日本では縄文時代以前の遺跡から柿が見つかっていないこと、野生種が見当たらないことから、中国渡来説が有力らしい。そして原種は渋柿であり、甘柿は変異によって出来た少数派だという。

 だからこそ四つ溝柿のように、さまざまな渋抜きの文化がわが国で定着し、受け継がれてきたのである。

 晩秋には紅葉狩りに出かけたい。実だけでなく、柿紅葉も艶やかで山は真っ赤に燃えしきる。そんなとき、おのずと口をついて出る歌がある。

 おくやまに紅葉(もみぢ)踏分(ふみわけ)けなく鹿の声きくときぞあきは悲しき  猿丸大夫

 も(・)みぢ(・・)は元は萩の黄葉として鑑賞されたが、いつしか楓の紅葉とされるようになった。鹿の音とあわせ、秋山の艶やかさと寂寥感がしんみりあらわされる。だが紅葉は楓だけではない。名木(なのきの)紅葉(もみじ)として柿紅葉のほか、漆紅葉、櫨(はぜ)紅葉、銀杏黄葉など見ごたえがある。

                ながらみ書房『短歌往来』2012年12月号より

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