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 熊野には大鰻がいる。

 五年前の春、古座川中流域に住む男性の仕掛けた延縄(はえなわ)に全長一メートル、重さ四キロ、胴回り三十センチほどの大鰻がかかったことがあった。元気がよかったので、庭の池で飼っていた。その近所の友人から誘われ、見に出かけた。覗きこむと、池の淵にじっとしていたが、突然ギロリと目を向けられてびっくりした。黑褐色で不規則なまだら模様は、南方系の特長だという。富田川では国の天然記念物に指定され、本宮町では通称イモウナギとも呼ばれる種類だった。

「大きなゴミかと思うて、引き寄せたらコイツやった。餌の鯊に食いついてたんや」 男性は胸を張った。

 延縄漁は一本の幹縄に多数の枝縄をつけ、その先端に釣針をつけたものを川に渡して仕掛ける漁法だ。前日の夕方、延縄を仕掛けたが夜には大雨が降った。翌日、早朝に川に行ってみると濁流になっていた。漁をあきらめて幹縄を引いたら掛かっていたという。

 近隣の人びとも一目見るなり、「川のヌシちゃうか?」「ワシの捕りそこねたヤツに似てる」「大蛇みたいや」など口々にいいあった。当面はみんなに見てもらい、あとは焼こうと池に入れておいたが、「コレは焼いても油ばっかりで不味い」といわれたので、まもなく川に戻すつもりだといった。

 大鰻のもっとも古い記録は、江戸時代にさかのぼる。『熊野獨参記(どくさんき)』(一六八九年・著者不詳)の古座村の項には、「此(コノ)川(カハ)大(ダイ)ナル鰻(ウナギ)多(オホ)シ 他国(タコク)二類(ルイ)ナシト云(イフ)」とある。

 江戸後期の紀州藩医で本草学者の小原(おはら)桃(とう)洞(どう)著『魚譜』には、「大ウナギ 熊野ノ古座奥相瀬(オクアイセ)二アリ 長(ナガサ)六七尺圍(マワリ)二尺斗(バカリ)アリ」とある。なんと、全長が一・八~二・一メートル、胴回りが六〇センチほどの超大物だった。

 その弟子の畔田(くろだ)翠山(すいざん)著『水族志』には、「紀州古座川熊野船津村二大ウナギアリ 共(トモ)二廻(マワ)リ尺餘(シャクアマリ)長(ナガ)サ六尺(ロクシャク)許(バカリ)ノ者(モノ)アリ」とある。

 また、紀伊半島を一周した津藩士斉藤(さいとう)拙堂(せつどう)著『南遊志』にも、古座川流域で網で捕えられているのを聞き書きしている。 このように古座川流域の大鰻は、昔からかなり有名だったようだ。

 近年になって、大正十一年に田辺市(旧・大塔村)鮎川において、日本最大級の剥製として残されているが、水分が抜けてまっすぐな棒になっている。

 昭和四十一年に建立された、富田川濁(にごり)淵(ぶち)のおおうなぎ観音(高さ一一六センチ)も珍しい。鰻の頭と尾を両手で鷲づかみにして立っている。鰻のまろやかな量感、表面がぶつぶつした皮膚感、そして一五六センチもの長さなど、実にリアルに彫られてある。

 日本近海では、このような大鰻(・・)と鰻(・)の二種類が生息する。大鰻は琉球列島から東南アジア、オセアニアにかけて広く見られる。鰻は

北海道以南の海域で朝鮮半島、中国、台湾など、東アジアに分布する。

 新石器時代の古墳から鰻の骨は出土した。先史時代から豊富に食べていたようだ。だが『古事記』『日本書紀』には登場しない。記録として登場する最初は『風土記』で、次いで『万葉集』に詠まれるが、調理法などはわからない。

  石(いは)麿(まろ)にわれ物(もの)申(まを)す夏痩(やせ)に良(よ)しといふ物そ

  鰻(むなぎ)取り食(め)せ              大伴家持(巻十六・三八五三)

    痩(や)す痩(や)すも生(い)けらばあらむをはたやはた

  鰻(むなぎ)を捕ると川に流るな               同(巻十六・三八五四)

 一首目は吉田連(よしだのむらじ)老(おゆ)(石麿)。生まれつきの痩せ体質で、いくら飲食をしても肥えなかったため、家持が歌でからかった。鰻は夏の食養生に最適との認識がすでにあった。二首目はいくら痩せていても、生きていればいいとはとても笑えない。より元気になろうと、鰻捕りをして川で流されないようにと忠告する。

「鰻の石積み漁、見においでよ」

 そう誘ってくれたのは、古座川域に住む東生広さんと谷幸子さんだ。去年の九月半ば、時期を見はからって訪ねた。「捕れたら焼くからね」という谷さんと川へ急いだ。川原には箱眼鏡、先端に突起のついた鰻鋏、蓋付きの籠のボッツリが置かれてあった。    

 石積み漁とは積んだ石の底にもぐり込んだ鰻を、鋏で捕るという原始的な漁である。鰻は石の感触や隙間や深さが気に入れば、そのままそこに居つこうとする習性がある。一週間前から放置してあるので、そろそろ入ったころだろうという。東さんは石をひとつひとつ丁寧にはぐりながら、水中を箱めがねで覗きこんだ。手長(てなが)蝦(えび)や河鯥(かわむつ)が逃げた。

「いてる!黒い頭見えてるよ」

 そういいつつ全長五十センチを四匹、ボッツリ籠に入れてくれた。天然の銀鰻(春から秋にかけて川を下る親鰻)だった。

 石積みの方法を聞いた。川のなかに鋤簾(じょれん)などで、深さ四十センチ、直径五十センチほどの穴を掘る。そのなかにゲンコツより大きい石を積んでいく。二段並びほどになったらやや大きめの石を積んでいく。最後は持ちあげられるほどの大きめの石を重石に積む。水面に石が見える程度に積めばできあがり。そうして一週間(季節によって調整)放置しておくのである。はぐって崩れても石をもとに積み戻しておけば、また鰻がもぐりこむ。

 蒲焼は身がしまっていて、実に美味しかった。冬は漁は休み。のこりは冷凍庫に保管することにした。おせちには鰻巻きも作り、川での出来事を家族に話そうと思っている。

 鰻を食べに食べた茂吉の歌。美食というよりは、滋養、延命の意味が含まれていたように思われる。

  ゆふぐれの光に鰻の飯(いひ)はみて病院のことしばしおもへる   斎藤茂吉『ともしび』

                 ながらみ書房『短歌往来』2013年1月号より

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