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 奈良斑鳩にある法隆寺西円堂には、薬師如来がまつられている。人びとから「峰のお薬師さん」と呼ばれ、親しまれている。毎年ここで、節分の夜に「追(つい)儺(な)式」が行なわれる。私は今回、はじめて見ることができた。

 僧侶の読経が終わる七時過ぎ、夜の闇が一段と深まった。薬師如来の秀麗な姿が灯明に浮かび、ひときわ澄んでいた。お堂のまわりには金網が張られ、その周囲には参拝の人波が、寄せては返していた。 

 ジャン、ジャン、ジャン

 ドンドン、ドンドン

 ジャン、ジャン、ジャン

 鐘や太鼓の激しい音が響きわたった。いよいよ鬼の登場だ。黒鬼、青鬼、赤鬼が次々に躍り出た。手に松明を掲げてひとしきり暴れる所作をしたあと、金網の方に投げると、火の粉がはげしく飛び散った。そしてあらわれた毘沙門天は、手にもった鉾で鬼を追い、法力で退散させるのだ。寒さも忘れて見守る人びとから、歓声と拍手が湧き起こった。「震災による苦しみ悲しみが、癒えますように」と、声をあげて祈る人がいた。

 古代中国では、年末や正月に赤(あ)豆(づき)を供えたり撒いたりし、疫病を追う習わしがあった。日本では農家の予祝行事として、豆の種を畑におろす儀式で収穫を占ってきた。それと鬼やらいとが、重なりあったのだろうとする説がある。法隆寺の追儺式は、鎌倉時代(一二六一年)から続けられ、その最古の様式を保っているとされている。節分とは季節を分けること。帰り道の民家の庭に、早咲きの河津桜を見つけた。明日はもう立春なのだ。

 和菓子屋のショーケースには、桜餅がたくさん並んだ。ちょっと気が早いとか思いながらも、「今年は、どこの花に会いに行こう」などと思いめぐらし、まずは仏壇のお供えに三個ばかり買った。桜餅は人のこころを、春へ春へと急がせる。

 私には、忘れられない一本の桜がある。生家の二階の窓から見えた若い山桜だ。家は里山の麓だったので、朝日があたるとひょろりとした幹があらわになり、夜の暗闇でもそこだけボオーッと浮きあがり、霧雨のなかでも時には、青っぽく見えたりした。木は少しづつ大きくなり、花の数も増えた。

 小学生高学年のころだったか、近所に放し飼いの白犬チョビがいた。登校する私に、どこからかやってきて尾をふり、またどこかへいくといった自由な気風を持つ犬だった。私とチョビは互いに近づきすぎず、それでもひとつのパンを分けあうほどの仲だった。ところがある雪の日、一緒に歩いていた飼主のおじさんをかばい、自動車に体当たりをしてしまった。その日から私は、ひとりでパンを食べなければならなくなった。「チョビ、どこに埋まってる?」と聞くと、おじさんは黙って山を指さした。

 その年の春、山桜はいつもより白が濃くなった。ぼーっと眺めていると、理由のない懐かしさにおそわれ、私は直感的に、チョビはあの根本にいるのだと知った。

 『神楽歌』の湯立歌の桜の部分から。

大君の ゆきとる山の 若桜(わかざくら) 

おけ おけ

若桜 とりに我(われ)行(ゆ)く 舟(ふね)楫(かぢ)棹(さを) 人(ひと)貸せ

おけ おけ

 「大君の弓にする木を取る山の若桜よ、おけ、おけ、若桜を取りに私は行くよ。舟と楫と棹をば、だれぞ私に貸してくれ、おけ、おけ」と呼びかける。「おけおけ」には人を急(せ)かす呪の響きがある。民謡であれば若桜は、湖の対岸の少女を象徴するところだ。

 桜の語源は「サ(穀霊)+クラ(神座)」であると、柳田国男や折口信夫らによって解釈されている。穀霊をあらわすサの例を、古語のなかに見れば、稲を植える月はサツキ、田植えに必要な雨はサミダレ、田植えの稲はサナエ、植える女性はサオトメという。そして田植えの終わりをサノボリといい、田の神祭りをする。

 クラは「天の磐座(いわくら)」や「高御座(たかみくら)」のクラと同じであることはもちろんだが、それはカグラ(神楽)やミテグラ(幣帛)のクラとおなじでもある。カグラはまさに「神座(かみくら)」のことだという。 「桜というだけで、びびっと来ますのや。人の心を浄化させる、何かがありますな」

 そう熱く語る知人がいる。知人は稲の女神は桜前線に乗り、南から北へ旅をするのだという。毎年、甘酒と塩を持って、五島列島の西端で女神を迎える。東シナ海から列島にむけ、豊作の予祝をするためである。続いて土佐の桂浜や和歌山の潮岬などを順に北上、新潟や秋田を経て、最後は青森の津軽海峡から北海道へ女神を見送り、帰宅をするという。

 茫洋としたつかみどころのない時間を、春の女神とともに過ごすという。こんな緩やかな時間と熱い感情から、季節が熟成する。

『古事記』上巻・木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)の章には、天孫邇邇(にに)芸(ぎの)命へは姉の石(いし)長比売(ながひめ)とともに嫁ぐのだが、石長比売は大変醜かったために追い返されている。結果、木花之佐久夜毘売だけが妻となっている。彼女らの父の大山津(おほやまつ)見(み)神は、「石長比売を妻にすれば、邇邇芸命は岩のように永遠のものになり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば、桜が咲くように繁栄するだろう」といっている。

 本居宣長の『古事記伝』によると、「万(よろづ)の木花の中に、桜ぞ勝(すぐ)れて美(めでた)き故に、殊に開光(さきは)映(や)てふ名を負(おひ)て、佐久(さく)良(ら)とは云(いへ)り、夜と良は横通(よこにかよふ)音(こゑ)なり」としている。

 古典に詠まれた私だけの桜を、目裏に咲かせたくなる歌がある。

   やはらかに文語の季節去りにけり花見むとしてわれは目を閉づ    今野寿美

                                            (写真撮影:楠本弘児)

                               ながらみ書房『短歌往来』2013年4月号より

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