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 「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」の言葉で、世間に衝撃を与えたのは横井正一さんだった。

 二十八年間、敗戦を知らずに逃亡生活をして、一九七二年一月二十四日(五十六歳)にグアム島のタロホホの密林で発見された。そして、八十二歳まで生きた伝説の人である。当時私は二十代半ば。日本は高度成長期のただなかにあった。ジャングルでの孤独な日々でも軍人を貫いたその精神力に、終わっていなかった戦後を知って愕然とした。

 テレビには手作りの、籠やうけ(・・)(鰻や蝦を捕る仕掛け)が映った。竹稈(ちっかん)を使った、食物入れの筒や火おこしや織物機などの道具、竹の皮を使った皿やまな板などの道具、さらに竪穴式住居(横井ケープ)を住みやすくするために、床や天井や棚などしつらえ、また竹の枯葉をクッションとして敷いていたことなども知った。横井さんのサバイバルはまるごと、原始生活であった。

 使用した竹の種類は泰山(だいさん)竹(ちく)という。稈が軟らかくて粘り強く、角でも折れることのない性質だ。また、葉には珪酸(けいさん)の含有量も多く、腐りにくいうえに空気がふわっと入り、湿度の高い穴倉でも、いくぶんか快適に過ごせただろう。竹が横井さんの命を繋いだともいえるのだ。

 竹類はグアム島には原生種がなく、泰山竹はスペイン領時代に、入植者が中国南部か熱帯アジアから移植したと推測されている。 

 日本で多く利用されているのは、真竹、淡(は)竹(ちく)、孟宗(もうそう)竹(ちく)の三種類だ。そのうちの真竹や淡竹は、日本原産説が正しいといわれている。 真竹は淡竹より大形で伸縮性がよく、弓や定規や尺八などに使われる。とりわけアメリカのエジソンによって、一八八二年に京都の八幡村の真竹をフィラメントに使い、世界初の「白熱電球」を成功させたことで有名だ。 淡竹は弾力性があり細く割れるため、茶筅や花籠や竹垣などに利用される。

 孟宗竹は食料になる。もとは中国原産で、今から約二四〇年ほど前の天文元年(一七三六)、第二十一代薩摩藩主であった島津吉貴が、琉球からその苗を現在の鹿児島市磯部邸に移して繁殖させ、その後、安永八年に江戸品川の薩摩藩邸に栽植した。そしてこの二ヶ所を起点として、日本国中に普及させたという説が有力だ。

 四月半ば、京都の洛西は朝掘り筍の最盛期だった。もちろん種類は孟宗竹。朝の十一時ごろ、竹林を訪れると、すでに朝掘りの作業は終わっていた。四百坪~五百坪ほどある一軒の竹林に立つと、農家のおじさんがほり(・・)という道具の手入れをしていた。筍を傷つけず地中深くから堀り起こせるように、細長くカーブさせた特殊な鍬である。釘抜きのように掘りおこすのだ。

「掘りごろのものは、靴の裏にツンと感じると聞いたのですが、そうなんですか」

「べつに歩かんでも、見たらすぐわかる。地表がひび割れてるよってな。ほら、そこ見てみいよ」

 指差さしたところに、地面からわずか穂を出しているのが見える。明朝に掘るための目印に、棒が挿してあった。筍は非常に成長が早く、地表に頭をだして日光や空気にふれてしまうと皮が黒くなるので、夜明けから朝八時頃までに作業をしてしまうのだ。掘ってから料理をするまでの時間が短いほど、やわらかくてえぐみ(・・・)もない。

「風にうねる音に混じって、鴬の笹鳴きなんかが聴こえるし、家へ帰りとうないよ」 そういうおじさんと一緒に、鴬の幼い鳴声をしばらく聴いていた。

  御苑生(みそのふ)の竹の林に鶯はしば鳴きにしを雪は降りつつ   

                                                                     大伴家持『万葉集』(巻十九・四二八六)

 御苑(平城宮)の竹林で鶯はもうたびたび鳴いてたのに、雪はまだ降り続いているよとの意味。貴人の館や宮中の庭には、竹が何本も植えられていたことが歌からわかる。

 「大宮人」にかかる枕詞の、「さす竹」の「さす」は伸びてゆくことを意味し、象徴的な言葉になっているのも、垣をはりめぐらしたり、葉を敷き仮宿に寝たのも、竹の生長や繁殖の神秘性を信じたからだ。

 『古事記』上巻・天照大御神と須佐之男命の章には、高天原を追われた須佐之男命は、出雲国の肥河の川上の鳥(とり)髪(かみ)というところに降りた。そこに箸が流れてきたので、人が住んでいると気づき、櫛名田比売(くしなだひめ)を知る場面である。また、天の石屋戸の前で天宇受売命が天の香久山の小竹葉(ささば)を、束ねて手に持ち舞っている。

 箸に関しては、古く倭国では箸は使っておらず、人びとは手で食べていた。『古事記』『日本書紀』の編纂あたりの時代になってから、一般化している。神話の箸は、文化的な象徴として使われたようである。吉野裕子著『祭りの原理』には、古代の箸は二本ではなく、一本の細い竹を曲げ撓(たわ)めたもの(ピンセット状)のようだと指摘している。箸は二本並んで流れてくることはとても考えられず、もし片方が流れてきたのであれば、細い棒としか認識できなかったのではないかと推察している。 

   一定の時間が経(た)つと傾きて溜りし水を吐く竹の筒          奥村晃作

  ししおどしの仕掛けを、じっと見つめる作者がとても楽しい。漢字では「鹿威し」と書く。もとは、大きな音で農作物に被害を与える鳥獣を音でおどす道具であった。目的から離れ、音を楽しむために日本庭園などに置かれる。最近、都心のビル街にも、竹を使った景観に出会うことがある。色、音、形からも竹は空間を一変させている。

                  ながらみ書房『短歌往来』2013年6月号より

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