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アカウミガメ

ウミガメ_01ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ

砂にさし入れた聴診器から、小さいが確かな音が聴こえる。産卵したアカウミガメの卵が埋められてあるのだ。耳に全神経を集中させると、妊娠中に聴いたわが胎児の心音と同じリズムだった。とても懐かしい。

ザッ、ザッ、ズッ、ドッ、ドッ、ドッ

今度はわずかに音が違う。複数、砂のなかで孵化(ふか)の準備をしているためだという。

「このところ孵化率が九〇㌫を越えていましてね。順調なのでね」

ウミガメおじさんは聴診器をひきあげながら、目を細める。なにしろ保護前は、五千匹に一匹ほどしか生き残れなかったというのだから、これは大変な記録にちがいない。

九月下旬、私は「新宮市海亀を保護する会」の会長、速水政夫さん(七九歳)を訪ねて王子(おうじ)ヶ浜にいた。

王子ヶ浜に上陸して産み落とされた海亀の卵の全部が、速水さん夫婦の手で孵化場(ふかじょう)に保護されてきた。

今年はすでに千匹孵化させ、五〇〇匹を海にもどしたという。「一匹でも多く海にもどす」ことを目標に、三〇年間、妻の福枝さんと二人で模索をくり返し頑張ってきたのである。

通常、海亀は産卵から約五〇日を経たのち孵化する。砂のなかでは卵が割れはじめると嵩(かさ)が低くなり、その部分の砂がへこむため表面がすり鉢状にくぼむ。それが脱出前のサインなのだ。

見渡すと砂のくぼみが三つほどあり、おそらく今夜は地上に脱出するだろうという。星の光をはじめて浴びる亀ははたして何匹いるのだろうか。

孵化場の横の小屋には、プールが設置してある。脱出した稚(ち)亀(がめ)をここに移し、餌のオキアミを与えながら放流の時期を見守るのだ。

一念の亀の子亀の子海に入る     宇多喜代子

稚亀が手足を櫂(かい)のようにして、全身で泳いでいる。のぞきこむと、なんと五百匹もいた。甲羅を指にはさむと手足をばたばたさせ、その力はかなり強いのに驚いた。

「このちっちゃい体で黒潮に乗るんやからの。力が要るもんでの」

そういう福枝さんの眼差しは、海亀のお母さんのよう。

アカウミガメは海亀のなかでもとりわけ大きい。甲羅の長さは一メートル以上、体重は一五〇キロから前後にまで成長する。

角質(かくしつ)の鱗板(りんばん)でおおわれ、大きな頭と強い顎(あご)が特徴的だ。その顎で小魚、水母(くらげ)、貝、蟹などの肉食をする。

アカウミガメの産卵時期は五月から八月。台風シーズンに重なるため、そのままでは卵は高波にさらわれたり、鼬(いたち)や狸に狙われたり、孵化したところを鳶に襲われたりもする。無事に大人に成長できるのは一〇〇〇分の一ほどであろうか。

それだけではない。以前は、ごっそり持ち帰る人間がいたという。海亀の卵はコレステロールの固まりなのだが、イメージから長寿や子孫繁栄の妙薬として、高く売れたらしい。天敵は陸のほうが多いようだ。

卵は珍品として利用したが、海亀を食べる文化は、日本では一部をのぞき普及はしなかった。こんな話がある。

約三〇年前に、紀州の漁師が、アラフラ海で白蝶貝(しろちょうがい)(真珠貝)をとるダイバーとしてトレース海峡に働いていたとき、現地原住民のアボリジニから、海亀狩りの方法を教えられたという。帰国後、その味が懐かしくなると、ときおり漁の行き帰りに出会う海亀を狩っていたのであった。肉は近隣にも配ったが、自家消費にとどまっていたという。

熊野灘の波の音は地鳴りのようで怖い。

稚亀はそんな荒海にもぐっては秋刀魚(さんま)の竜巻におののき、越(えち)前水母(ぜんくらげ)の宇宙船を仰ぎ、珊瑚礁に宿をとるのだろうか。

海の底にも秋が深まってゆく。

ニュートリノ降りゐる闇をおしひらき夫婦の海亀パトロール隊

二〇〇五年『歌壇』一〇月号

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