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辺境の地ヘ

小辺地古道の果無越え シイの花が白く咲き始める春、山の神に深く一礼をすれば「よう来たのら」と、郷に招き入れてくれる。

   人よりも山猿どものおほくすむ十津川郷へ尾のある人と

  奈良県吉野郡十津川村大字桑畑字果無は、人馬不通の大山塊にある。九七パーセントが森林である古野十津川郷には、時代の流れに埋没しなかった人の営みのさまざまが、風土のなかでいまも脈々と息づいている。

 三月の初め、まだらに雪が残る杉の細道を歩いてゆくと、民家の庭にトチの実が湧き水にさらされているのを見つけた。トチの実はこの地方に伝わる縄文時代からの食料である。山の急斜面を開墾した畑にはずり落ちる土をかき上げるための道具、鋭角の鍬もあった。稜線をなぞって古い街道ものびている。

 昭和の中頃に車道が谷に通るまでは、大阪商人たちは物資を背負ってこの街道を往来した。また幕末には十津川郷士たちは、山稜に敷かれた石畳を踏んで都へ馳せたという。 どんな木の実が食べ続けられているのか。鍬を作る鍛冶屋さんはいまもあるのだろうか。誰がどのように敷石を峰まで運びあげたのか。そんな興味の数々を聞くとき、山の重さが私の身体にズズーンと入ってくる。

 古老に会う。

 平地が極端に少ない地形のなかで、集落や畑は山の中腹に散在する。そこで山仕事もこなしつつ、ひそやかにしかも瓢々と歳月を重ねている人たち。 雑穀やイモなどで米の不足を満たし、本の実や川魚や鳥や獣で食文化をつむいでいる。そんな奥熊野の暮らしは端的にいえば、近世までが縄文時代だった。

 ここでは多くの情報や知識や財布などは不要。要るものと要らないものの総ては大自然が散えてくれる。     山で生まれ、山で育ち、山に逝く古老たち。そしてそこに集まる虫や草や獣たち。私は生きる原点をまざまざと見せられるのだ。

  カセット‧テープ、ICレコーダーの類は忘れずに。

 方言はその地の長い時間のなかで練りあげられた、人間の存在のあかしだ。そして峰や峠や虫や草の名前にまで、気質がありありとうかがわれる。古老たちは過去と現代をつなぐ、伝承の葛の吊橋だ。やがて葛も朽ちる。

 旅のさなかで熱く詩心を揺さぶられた話も、熟成時間を経なければ言葉がふつふつ湧きあがってこない。とにかく現場では貪欲に、生の声を収録しておきたいのだ。

  鮮しき猪首ささげ手をふれば くおうよ〉 と山の神はうなづく

  霧の上につき出た峰へ地下足袋の仙人ひょいと注連縄さげて

  (写真撮影:楠本弘児)

                本阿弥書店『熊野の森だより』より

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